October 27, 2011

什器の製作。その2

昨日に引き続き
什器の制作。


作品と空間が呼吸するように
できる限りのことはやる。

っで、昨日着色していたあゆみ板に土を塗り仕上げていく。

























早速作品を置いて色の感じと空間の中の配置を想像してみる






清水さんの器に関しては、
ばっちり!






困った事に大益さんの作品のよさが、あゆみ板では伝わらないような・・・・。
選んだ、色が悪いのか?????















難しい・・・・。










急遽、和紙の什器を取り出し
白いままでは合わなかったので
うすい墨で着色。。。



















これでよし。




それにしても、2人の器はじんわりとくる
使っていても、任せれる安心感がある。

そんな、2人の器が暮らしの中に入ったとき
静かに、語りだす時を待ちたい。
実際、今回清水善行さんに声をかけた理由は
うちの子供が清水さんの器でごはんを食べている時
なんともいえない、平和な空気を感じたから。
清水さんはどこと無くやんちゃな子どものようで(本人見てたらすいません)
土のかおりがして
頼れるあんちゃんで
でも、我が家の中では真のお洒落さんという風になってて
その幅が作品に深みをもたせているような気がする。

大益さんの場合は
実際使っていて感じた部分が多く
これを使うには、もうちょっと年齢がいってから
と正直思っていたのですが
そう感じるものを今使うことによってわかることがある。
ある意味、そぎ落とした時に生まれた形なのかも知れない
大益さんの器は、使い手と作り手の真ん中でつりあっている。
僕が夜お酒を飲む時、大益さんの器をついつい選んでしまっている理由なのかもしれない。





2人の作品からは
モノが生まれてなくなっていく様子を容易に想像できる。
その流れの中に身を置くとき
妙な安堵感が生まれるのかも知れない。
そう思うと、僕の作品はその流れに影を落としている。
見えなく不透明な部分があるように感じる。





暮らしの中の道具がすべて素朴でなければいけないとは思わない。
でも、素に帰れるものを身の回りに少し置いておくだけで
何か、立ち返れるところが見えてくる。
そんなことを伝えれる展覧会にしたいと思う。



インド古典音楽で表現していただく音の世界
大地の恵み食堂で感じていただく味の世界も
そのような観点のもと声をかけさせて頂いています。









夕方になり、作った和紙の什器の上に
清水さんの作品を置いてみた。

和紙は美しいと思い

和紙に出会ったことに感謝した。


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