October 23, 2010

和紙の含んでいるもの


11月23日に行う「黒谷和紙ともみじまつり」で
篠笛を演奏していただく森美和子さんと黒谷に行き
実際に演奏をする熊野神社で打ち合わせをした。



当日、イチョウの黄色い落ち葉の中、和紙の衣装に身を包んでいただく予定。





森さんは野口裕之さん(野口整体の創始者・野口晴哉さんの次男)の整体を学んでいて
それは、自分の体を内観し
気の流れを通すことによって
体を整えるものであり、
どう言う事かと言いますと
目には能動の目と受動の目があり
見ようと意識してみる目は能動で
無意識に見ている(感じている)目を受動で
内観をするのに受動的な目を使い
体の中の気の流れを診ていく整体。
つまり、客観的に自分の体の中を見ていく整体のようです。
(間違っていたらスイマセン)


その森さん曰く
普通の紙は紙面で視点が止まるのにたいして
和紙の場合、視点は和紙の紙面に止まらず、
すーっと通り抜けていくという。


なるほどって思った。



空気と同化していく素材。



私達は物語の世界と現実の世界の差を理解しようと
必死に見ようとし続けてきていたのかも知れない。
存在するのに存在していないものがあるということを理解するならば
それはそれで、大切に置いておくべきだったのでは・・・。





作り手として
表現するものを明解にし
それを形にすることをできなければ
プロと言えないと思っている。
でも、それの上に感じるという部分をどれだけ多く含ませるかというのも
作り手の技量ではないのかな?


森美和子さんは
出来たての和紙を肩に掛け
静かに神社の境内で
当日のイメージを内観していた。
その姿を見ていると
すでに音がなっている空間の緊張感のようなものが生まれていて
鳥肌(関東ではさぶいぼ)が立った。


森美和子さん
「木と紙と古いもの展」最終日、少し演奏をしてくれそうです。





(ハタノワタル)

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