March 7, 2012

取材後記<Part11>

*初めての方はこちらからお読みください。

*モノノートMによる取材後記<Part1>はこちらから。

* * *


今日は朝から雲行きがあやしかったせいか、

しびしびと小雨が降り出した。

そんな天気ももろともせずモノノートMの取材は続いていた。


毛利「窯焚きは年に何回くらいされるんですか?」

清水「だいたい半年に1回ほどだから、2回ですね。」

毛利「一度にどれくらいの量を焼かれるんですか?」

清水「それはもう、大小あわせて1,000点くらいは入りますね。」

毛利「おお!そんな沢山の量を、すごい。」



清水さんのこだわりは、古き良き焼き方に由来する。

「焼き締め」といい、土の持つ表情を生かすためにうわ薬をかけない技術のことだ。需要がなかった時期もあったそうだが、古来のものを、美術工芸を大切によう!というムーブメントが起きたことが、清水さんにも影響を与えたそうだ。


薪窯だけかと思いきや、ガス窯でも焼き物をされる。



行程は、まずどんな形のものを作ろうかというイメージを頭で膨らませる。清水さんの場合、図面を起こすこともなく、土の準備をし、轆轤で形をつくり、うわ薬をかけ、窯に入れる。

この一連の流れには相当な月日がかかるのだが、驚いたのが、清水さんは素焼きをしないのだという。それには温度の関係があるそうで、いきなり本焼きをすることで、土の有機的なものが焼き飛び、やわらかい表情がでるのだとか。


「素焼きをしないと、一回分の燃料も浮きますからね。」


清水さんの器が少し重たかったり、厚めだったりするのは、このうわ薬の「生がけ」に耐えられる厚みにされているからなのだ。


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 ★本焼き:1,200℃〜

 ★素焼き:800900℃ 

└───────────────┘


こちらは清水さんと蹴り轆轤。
電気と違って左右の融通が利きやすいそうだ。


電気轆轤もある。

目の粗さの違う漉し器。土を漉す。

工房には薪ストーブとギターも常備!



「これはそこを削る時のヘラですね。」
そういって見せてくださった一枚。


「土にも種類があって、例えば変わった形を作ろうとしても、土が耐えられなくて割れてしまったり、変形してしまったりします。

それを『土なり』っていって、この形でしかできないものがあるんです。」と、清水さん。


これは乾燥させた状態で、まだ一度も焼いていない。


清水さんはうわ薬もお手製だ。

薪ストーブの灰と釉石をまぜて作られている。


こちらは所変わり、薪窯の前。

屋根の真ん中当たりにレンガが積んであるのがお分かりだろうか?

窯焚きのときに、ここから大きな火が噴き出すそうだ!!
そのためか木が少し黒ずんでいる。



「ちょっと掃除しないといけないんですけどね。」

と窯の中の清水さん。

もちろんこの窯も清水さんお手製である。


清水「窯の中の水分は重要で、それが器にふくらみを持たせます。

ちなみに墨色の器は、窯の中で不完全燃焼を起こしてるんです。

カーボン(炭素)が浸透すると丈夫になるので。」


この清水さんの後ろに写っているレンガは、
ホームセンターなどで購入されたそうだ。



薪は松ヤニが油分を多く含んでいて、火力が大きい赤松を使うそうだ。
だが、清水さんは松だけでなく、他の木や、そこら辺に落ちている木の枝なども入れるのだという。

清水「昔の人は今みたいに流通が発達してないから、同じ木ばかりを使えたわけではないし、きっと燃やせるものは何でも入れたと思うんですよ。」




こちらはいよいよ窯焚きをするぞ!
という時に使う焼き物を乗せる台。


温度計をもつ清水さん。

窯焚きの時は真っ赤っかになるぞ!


清水「窯だしのときはここ一体が焼き物で埋め尽くされるんです。今はそこに少し置いているだけですが。」

毛利「いいですね!私、一回清水さんが窯だしをしてはる時に、『あー!今窯だしの時期なんや〜!』って、前の道通ってみたいです!(笑)」

清水「そうですか(笑)どうぞ。」


それが今のこれである。



さて、そろそろ日も暮れ始めたので、御暇しようと荷支度をし始めた。

清水さんには再び大河原駅まで送ってもらうのだが、なんせ電車が1時間に1本しかないため、のばらさんが時刻表を調べてくださった。


のばら「ちょうど16:47発の電車がありますね。」

清水「今からだったら十分ですね。それじゃあ、行きましょうか。」

毛利「はい、お願いします。今日はお世話になりありがとうございました!」そう言って、車に乗り込んだ。


今日はたった4時間ほどだったが、とても濃い一日を過ごさせてもらった。それもそのはず!陶芸に関して知識を持たなかった私が、目から鱗の連続で、未知の世界を垣間見たのだから。

しかし、今日初めてまともに清水さんと話したにも関わらず、車の中での話はいつのまにか私の人生相談になっていた。


「強い意志があればできないことはないし、頑張っている姿を見れば周りの人もきっと応援してくれますよ。」


このようなことを言ってくださったように思う。本当にありがたい。

「それじゃあ、また展覧会場でお会いしましょう〜!」と言って別れかけた。この時、時刻は16:47だった。



清水「…あれ??」



毛利「電車……」



清水「あれ!なんでや、時刻表が変わってる!44分発か…。」

毛利「すいません、最後話が盛り上がって出るのが遅くなったばっかりに……。待ちます。」

清水「ちょっと待ってくださいね。」と、電話をされた。


しばらくして、

清水「木津駅までお送りします。乗ってください。」

毛利「ありがとうございます。いや、でも加茂駅までで大丈夫です!」

清水「加茂も木津も大して変わらないんで、どうぞ。」


そうして私は再び車に乗せてもらうことになり、話は色々と盛り上がった。

また展覧会でお会いできるのが楽しみだ。

そんなことを考えながら、私は電車に乗った。


Part12>へつづく


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