November 5, 2010

曖昧な境界


黒谷和紙で一生懸命紙を漉いていると
「ハタノくん、ひまかぁ~?」
って半世紀以上紙を漉き続けてきたおばあちゃんが声をかけてくる。

仕事をしにきているのに暇な訳がない。
見てたらわかるやろ
って思っていたけど
何度言ってもこの感覚がわかってくれない。


紙を漉く。
畑仕事をする。
ご飯を作る。
おしゃべりをする。
寝る。
風呂に入る。
・・・。

僕達若手紙漉きと
昔からずっと紙を漉いてきた人の決定的な違いは
一日の大半を費やす仕事と暮らしが交じり合っていて
境界が曖昧になっていることだと思う。



日本の代表的な素材としての木や紙や土は
現代の人が考えているその概念よりももっと幅が広く
境界が曖昧になっていたと思う。
それぞれの特徴をうまく熟知した上で
お互いを補う性質を兼ね備えていた。
木に足りないものは紙や土が代用し
紙に足りないものは木や土、
土に足りないもの木や紙がそれを補うことができたような気がする。

木が割れた時はそこに紙を貼り漆を塗る。
壁につやと強度を与えるために紙と土を混ぜ、
紙に土を漉きこんで、虫食いなどから襖を守った。




暮らしの中に神社やお墓、お地蔵さんがあり
人々はお賽銭やお供えをする。

以前、我が家に泥棒が入り
捕まえたことがある。
そのことを紙漉きのおばあちゃんに伝えたら
「あの人、山の神さんのお賽銭ちょくちょくとっとるで~」
って言う。
そのくせ、毎朝お賽銭をあげにいく。
・・・。
お賽銭がなくなっても神様が使ってくれたと思っている。
人と神の世界の境界も曖昧である。
それでいて、美化していることに私達の失った感覚があるように思う。

境界を曖昧にすることによって
より少ないもので
豊かな暮らしが営めたのではないのか?


我が家は築100年の古民家です。
土間や深い軒、縁側のように外か中かわからない空間が家の中にあり
昔、牛が家の中で飼われ
お蚕さんが家の中心に居座っていた。
家なのか?外なのか?動物なのか?人間なのか?
すべてのものが、交じり合う場所があり
補い合う空間をつくっている。

今から、その暮らしに戻ろうとも思わないが
せめて、少し境界をぼやけさせ
交じり合う場所をつくっていくのがこれからの暮らしではないか?
そんなことを思い制作をしています。




「木と紙と古いもの展」後2日となりました。
週末は混雑すると思いますが
人と人、人とモノが交じり合う空間ができることを祈っています。


皆様のお越しをお待ちしています。



同時開催:土に向かうひとびと
6日:あじき堂、水田家の食卓
7日:あじき堂、竹松うどん店、まぃまぃ堂、きらり上林
http://kitokamitofuruimonoten.blogspot.com/p/blog-page_1068.html

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